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HAL4550

絶対矛盾的自己同一の世界

絶対矛盾的自己同一の世界、中島みゆき、難解な四文字熟語を連ねては居るが要は追っかけの哲学本である。随所に本筋から外れ意味不明の部分がある、多分著者が一番書きたいと思っている処をわたしが消化不良を起こしているのだろう、西田哲学を駆使してみゆきを難解に哲学している、そういう本である。林 晃三(著)
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みゆき本は彼女自身のものを含め数冊出版されているが初めて手に取った。時間の合間を盗んで読んでいるので面白いが中々進まない、深く考えさせる、本当にそうかな、とも考えさせる。兎に角、初心者には興味深く、みゆき信者になりそうである。
Dardaさんにおみやげで持って行こうと思う
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帯から引用すると

歌に隠された奥深い宗教性。そして恋歌の真実とは。
これらの言葉の中に込められているのは、矛盾が矛盾でありながら矛盾ではなく、あらゆる存在は無意味に分離されているのでもなく、存在するものはすべて「ねじれながら」もつながっているという感覚である。ここに描かれている世界観は、不条理の世界ではなく、かといって幻想の世界でもない。
仮に何もかも失うほど絶望に打ちのめされたとしても、人の人生はそれで終わるわけではない。「すべて失くしても、すべては始まる」のである。なぜなら、この宇宙にあるものは、すべてが一つにつながっているからである。



当たり前の話を文字にすると、こうも難解な言葉に置き換わるのかと感心するが、そのとおり、何にも変わりなく時間は過ぎて行くのである。もしも、あなたに、わたしに重大事件が起ころうとも世界は変わりなく時を重ね織り込み続ける、人生ってそう云うもんだ。

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もう少し続けると、

経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自分の細工を棄てて事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験するといっている者もその実は何らかの思想を交えているから、豪も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象が全く合一している。これが経験の最醇なる者である。  (善の研究)

それは彼女が歌うのは誰かのためでなく、むしろ自分自身のためであり、さらにいえば自分の問題を突き詰めることこそが、彼女の永遠のテーマに他ならないからである。それゆえ彼女の歌はファンの共感を誘うことが意図されているのではなく、自らの問題を歌によって表現することが意図された歌たちであるが、にもかかわらず、そのような彼女自身の突き詰めた精神が、私を含めた多くの人々の共感を誘うという逆説的な結果になっている。それは本来あらゆるアーティストの理想形といってよいのだろうが、それを本当に実現した中島みゆきは、やはり才能という言葉だけでは片付けられない何かがあるのだろう。中島みゆきの歌の中に矛盾する要素がいっぱいつまっているのは、彼女が決して安易な答えを求めていない証拠なのである。人生にはあまりにも複雑で説明のできないことが多すぎる。普通の人は、その中で自分なりの安易な答えを出すことによって、人がこの世に存在する意味を探求する必要などありはしないと考える。

刹那、みゆきCDを籠一杯買おうとしている、置く場所も無いというのに、この純粋経験を積み重ねようとしているのだから。
by hal4550 | 2013-02-07 06:00 | レコード