オペラが終わってから夕食まで時間があったので、知人への土産を買った。そして、前から気になっていた57丁目のロシアン・ティーの店に入った。なかは別世界の金ぴかである。客筋もやはりロシア系の家族が多く、壁にはシャガールの油絵やマジンスキーの抽象画が一面に飾ってある。ロシアンティーとスイーッを注文、いつも家で愛飲しているKusumiTeaに近く素晴らしくおいしい。フランスやイギリスの紅茶とはフレーバが決定的に違う。
57丁目のNOBUで食事を済ませた後、少し物足りなく思ったのでVillageVanguardに行くことにした。外は雨である、多分こんな日には予約が無くても大丈夫と踏んだが、これは大失敗だった。雨の中タクシを止めるのが難しく大変だったが、ともかくグリニッヂ・ビレッヂと7AveにあるVillageVanguardでタクシーを降りた。客はまだ並んでいない、案内係は十時から客を入れると云うが、予約がないと云うと途端に冷たい扱いで、一番後ろの列外で待っていろと云う。冷たい雨風が吹くなか傘をさして予約客が列に並ぶ度に最後列に追いやられる予約なしが20人あまり、結局一時間雨風の中で待つことになった。こうなれば意地である、予約なしでは一番前だったが体もすっかり冷え切って靴もズボンもびしょ濡れになった。
ともかく、予約客が全員入ってから予約なしが16人だけ入れた、可哀想に長い時間待って16人に入れなく追い帰された人達もいた。彼らの思いを込めてトイレの便器の写真を撮った、何の意味も無いのだが糞ということだ。
演奏は古いエイトビートのスタイルでピアノ、ドラム、サックス、ウッドベースのリーダはサックスのジミー・ヒース、随分お爺さんだったが演奏は良かった。最後に若い女の子とサックスの二重奏、彼女を友達と紹介したがガールフレンドにしては若すぎる、孫娘ではないかと思う。彼女の演奏はJimmy Heathより太くぎこちないが客は温かい拍手をくれてやる。私達は時間もなかったので早々と切り上げた。店内はまだまだ盛り上がっている。
この前から感じていたが、この頃のVillageVanguardの店員は偉そうにしている。演奏中に携帯を触っている最後尾の客に携帯を触るなとか、演奏の邪魔にもならないほどの小声で喋っている客に注意したり、CDを買いに行っても後にしろと取り合わない、奥のトイレの前で暇そうにしている例の案内係男のことである。随分横柄である値段も高くなりチャージが30ドルと二倍になっていた。年に二回しか行かないので我慢するしかないが、予約をしなかったので待つのは仕方ないとしても従業員に問題があるように思う。十時入店の筈の予約客も雨の中ずぶ濡れなりながら三十分以上待たされている。VillageVanguardが悪い訳ではないが、老舗の人気に自分が偉くなった気になっている店と従業員がいるのだから、やはり教育が成っていないと云うことだろう。数年前の正月にNewYork BlueNoteを予約したとき、寒い夜、長い時間外で待たされたことを思い出した。聞いてみると殆どが観光客である、地元の人は駄目でも観光客はここまで来て諦める訳が無いと踏んでいるのか。いずれにしろ予約が取れたとしても寒い夜と雨の夜のJAZZは絶対に止めた方が良い。
十二時過ぎにタクシーを拾い、ホテルに帰り着いてから荷造りを始めて寝たのが二時過ぎで早朝便のため四時半起床になった。朝七時の便でLAX経由でホノルルに向かった。ホノルルでは地獄が待っている。
トレーニングの後、少し早いブランチと云うべき朝食を57丁目カーネギーホール近くのヨーロッパカフェでとった。ここはいつも満員で期待を裏切らないので好きである。ポウルでサービスされるカプチーノは夫婦とも大好きである。
小雨の中オペラハウスに向かう、語源は知らないが昼間に行われるオペラはマチネと呼ばれる。夢遊病の女、主役アミーナのアリアはとても難しく音楽大学の上級学生が試験で歌う時に抑揚の加減が非常に難しい難曲アリアとして知られている。
レコードでも中々良い盤がなくて、カラスのモノラルであるがエンジェルオリジナル盤が最高に良い。最近ではネプトリコの夢遊病の女を買ったが聴いていない。オペラでも見る機会が無くて実は初めて観るので期待が大きい。
アルプスの田舎町を舞台にしたオペラであるが、演出はひどくがっかりした。現代風の音楽のレッスン場を舞台にしてリーザもメガネのハイミスの設定になっている。ストーリが分らないと何が何だかさっぱりである。主役アミーナはダイアナ・ダマール、中堅どころであるが素晴らしい歌手である。夢遊病の女のタイトロールを歌うに相応しい歌い手である。相手役のエルビーノはJavier Camarenaテノールは私は知らない人である。名前からするとイスラム系の人と思えるが顔つきはむしろ中国人に近くひらべったい顔で背も小さいので損をしている。素晴らしい声であるが私は好みではない。
圧巻はロドルフォ伯爵でMichele Pertusiバスバリトンで低い声も演技も存在感があり素晴らしかった。第一幕の演出はちぐはぐで良くなかったし、第一幕最後の混乱のシーンは村人が紙を撒き散らしたり家具を引っくり返す演出はどうも納得できない。中途半端な現代劇スタイルは止めにして欲しい。
休憩の後、第二幕は伝統的な演出に戻った。スイスの民族衣装で丁寧に舞台が進む。指揮はMarco Armiliatoで若くもないがMETでは新人なんだろう、演奏はとても良かったように思う。特に低音楽器が充実しているように思う、テレビ中継やDVD等もあり、年々METは良くなってきている。客の入りは満員でDamaruの人気のお蔭だろう、素晴らしい。
夢遊病の女の見せ場は最後の最後にある、アミーナのアリア、これはベルリーニのベルカントの真髄を聴かせてくれる素晴らしいアリア「嬉しいこの胸」、演出も素晴らしく、突然倒れているアミーナの舞台がセリ出し、オケボックスの指揮者近くまで細長く伸びた、これには皆が驚いた、怖さも無い訳がないと思うがダマールは素晴らしいベルカントで歌い上げた。その細いセリ出しをエルビーノと母親が駆け寄るところは見ている方がハラハラする、ここまでやる必要があるのだろうか、一つ間違えばオケボックスに転落である。やはり、この演出家Mary Zimmermanは問題がある。
何と最後の最後にDamaruが側転宙返りを二回連続でやったのには観客全員が驚いたが拍手喝采のうちにオペラは終わった。マチネは明るいうちにオペラが終わるので後の時間が使いやすい、夜のボエームを見るか、ジャズを聴きに行くか、などなどである。
一日中雨が降り、散々なニューヨークだったが素晴らしいアリアを聴けて幸せだった。夜は57丁目のNOBUで食事をする、結婚40周年のお祝いをした、私からのプレゼントはカートリッジ二個分の石である。
機内でブログを書き、JFKやLAXのデルタ・スカイラウンジでアップロードできるから便利である。
法事で精進料理を作った、昭和30年代法事の料理を再現したく子供の頃を思い出しながら色々献立を考えた。
そのあとはバイキング形式で、散らし寿司、桜島大根煮、筑前煮、里芋二種、高野豆腐と切干大根煮、三度豆胡麻和え、セリの三杯酢、春菊の胡桃白味噌和え、ツワブキの炒め物、葉牛蒡の炒め物、大豆とこんにゃくの煮豆など等。
そして黄檗山で食べたあの料理を作った、野菜の葛煮である。一昼夜水出した昆布出汁で若筍、百合根、蓮根、銀杏、うすい豆を薄塩味で炊いて準備し、別にきくらげを塩煮して最後に土鍋で合わせて吉野葛を薄く溶き仕上げに木の芽を添えて深皿で銘々サービスする。
つぎは蕪蒸しであるが、甘鯛が使えないのでたねから作ることになる。木綿豆腐と生椎茸、自然薯芋、きくらげ、そば粉を混ぜてフードプロセッサーにかけ、バットに入れて少し濃い味を付けて蒸籠で蒸して準備する。蕪をすりおろし卵白を混ぜ合わせ、たねを長方形に切り、蓋付の茶碗に入れ蕪をかけて蓋をして蒸し器で二段重ね八個同時に蒸し上がったところに葛餡をかけて山葵を添えて出す。温かくお腹にずっしりとくる一品である。
箸休めは作っておいた「ゆべし」を味わって貰う。好き嫌いも有るだろうが評判は上々だった。
庭で取れたフキノトウ、アスパラガス、三度豆、甘辛く炊いた筍、牛蒡の天麩羅は揚げたてを抹茶塩で食べてもらう、一品ずつ揚げては配るので時間が掛るが満足感があるのは確かだ。
最後は筍ごはんと山ウドの吸い物、香の物は黄檗山の有難い瓢箪の漬物、シバ漬けである。
煎茶とザボンの砂糖塗し、黄檗山の蓮の実、柚子の甘煮を水物として出した。十二時から始まり終わったのが四時の長い昼食会だったが良い思い出になった。
精進料理のメインは何と云っても知人が品評会用を特別に送ってくれた桜島大根1/4で鍋一杯
その後、仕事が忙しくブログを書く暇も無かったのでニューヨーク行きの機内でブログを書いている。
夜鍋仕事で延ばしのばしになっていたW444Bを修理した。両方から音が出るようになったが、まだ完全ではなくタイムアップ。
ハム歪クリップはダイオードを通過した後の電圧が低すぎるのが原因と思うがW444Bの回路図がなく正しい電圧がわからない。試聴のためにレベルを合わせると歪スパイスの効いた古臭い音がする。わたしは出力トランス付W444Aが好みである。
最後に一日だけ旨く晴れたのでじゃがいもと夏野菜の種蒔をした。この陽気で庭の源平桃や枝垂れ桜も、ちらほら咲き始めたようである。ニューヨークでは着いたその夜に「アンドレ・シニェ」、次の日はマチネで「夢遊病の女」、こちらはお目当てのDiane Damaruがタイトロールを歌う、予約が取れればビレッヂバンガードにも寄りたいが楽しみである。
三月は何かと気忙しい季節であり、仕事も年中で最も多忙を極める頃である。そのなか息子の七回忌を迎える。御呼びしてある人数は十数名であるが準備をしている途中で大変なことが起った。
法事は自宅でやるものと決めており、お寺さんとの打合せ、お供養の準備、仕出料理の手配などであるが、いつもお願いしている料理屋さんが倒産して電話が通じない、止む無く市内近隣の仕出料理を当たったが全滅であった。近年自宅で法事を行う家も少なくなり葬儀会館で行うのが流行らしい。また、自宅で法事を行っても食事は料理屋さんの送迎で店に行くそうだ。そのこともあり仕出料理屋が成り立たないらしい。
困った、試しに店で食事をしてみたがとても満足の行くものではなかった。そこで、自分で料理を作ることにした。十二人分の食器を揃えるのも結構大変な事であるが馴染の骨董店で揃えた。お膳は後始末が大変であるからテーブル席で半バイキングスタイルであれば一人で何とか小慣せそうである。十二人座れるテーブルも作った、もっと八人座りのテーブルにエクステンションを付け足しただけであるが全体にガルニエTBのテーブルクロスを掛けて使おう、兎も角、用意した。
問題はメニューである。法事料理は度々口にするが、近年では幕の内弁当におまけがついた程度のものが多く、魚肉の多用が目に付く、出来る限り仏事料理に拘りたいと思っている。外食の都度メニューの参考になる料理は無いか注意していた此の頃である。食材の野菜は知人が沢山送ってくれた。先週知人夫婦を招き予行演習も済ませた。
今日は三日前に予約した黄檗山万福寺の普茶料理を食べに行くのである。普茶料理は十数年前に万福寺前の白雲庵で食した事があり、また、知人の仏庵で何度もお招き戴いたので粗方の知識は持ち合わせている。
京阪電車宇治線の黄檗駅を降りると、先ずは反対側自衛隊駐屯地近くの「たま木亭」に立ち寄りパンを沢山買い込んだ、たま木亭は北の信者さんに教えて貰いながら近くに有るが中々立ち寄ることが無かったパン屋である。狭い店にはひっきりなしに客が溢れ、パンも焼き上るかどから売れて行く、素晴らしい店だ。焼きたてのクロワッサンは店を出ると直ぐにかぶりつくと旨い。
踏切を二つ越えて万福寺に到着、立派な山門である。黄檗山万福寺は禅宗のお寺で徳川四代将軍家綱の時代に中国から渡来した隠元禅師により開創された中国式の黄檗宗の総本山である。あらゆるところに葵の紋が入っていることから徳川将軍家との関わりの深さを感じさせる。
静かな部屋に通され、やがて普茶料理が運ばれてきた。ごま豆腐、筝羹(しゅんかん)と呼ばれる野菜煮合せは日本料理の先付けで一際印象に残ったのが「ゆべし」、そして天麩羅を指す油滋(ゆじ)も美味しい、雲辺(うんぺん)は野菜の葛とじ、飯子はえんどう豆ご飯で季節柄拙宅でもしばしば登場する。汁物は麩のおすましである。香の物は珍しい子瓢箪の漬物と柴漬けであった。料理は多いが残さず完食した。
ゆべしの味が気に入ったので作ることにした。ゆべしはDardaさんと出合った頃、新居浜で度々お土産に買って帰った、また、十津川のゆべしも何回か買ったことがある。作り方はネットで調べると簡単そうである。畑から柚子を10個余り取って来て中をくり貫き、白味噌、赤味噌、砂糖、胡桃、柚子汁、戻し椎茸、米粉、蕎麦粉を練り込んで柚子に詰込む。そして蒸すだけ、あとは自然乾燥で時を待つ。
圧力鍋で30分で蒸したが、開けてびっくり失敗である、圧力鍋はやり過ぎであった。味は「ゆべし」の味がする、乾燥させれば終わりであるが、万福寺のものとは味が違う様である、万福寺の「ゆべし」は、くり貫いた柚子に胡桃味噌を入れて二ヶ月ほど自然乾燥で熟成させたシンプルなもので余計なものを入れず蒸さない。ゆずはまだ沢山実っているので、暖かくなる前に挑戦してみようと思う。