クリーブランド管弦楽団は好きなオーケストラのひとつである。ボストンより好きだが、ウイーンやベルリンには及ばずノイマン・チェコと同じぐらい、微妙である。
クリーブランドの魅力はざらっとした弦が魅力、チェコも同じように思う。長年常任指揮者であったジョージセルのマーラの4番クリーブランドは愛聴盤である、勿論、マゼール・ウイーンも好んで聴く。CDならばブーレズ・クリーブランドにも手がのびる。
そのクリーブランドとマゼールの組合せでブラームスの交響曲全集がネットショップに出ていた、ffssDECCAである。これを逃してなるものかとオーダした。結構安い価格とは言ってもオークションではなくネットショップ、ラージDECCAが来れば儲けモンと軽い期待感が後押ししたが、送られて来たレコードはスモールDECCAだった。考えてみると1975-76の録音77年発売だからラージは無いのかも知れない。
聴いてみると、ブラームスだから、すごい感激はないものの、かなり良い演奏である。ジョージセルによって鍛え上げられ世界有数のオーケストラになったクリーブランドはマゼールにより一段と高い処に押し上げられた感がある。意外にも2番がよく、ゆったりとした流れが良い、ブラームスの田園交響曲と言われる所以だろう。
ライナーを読んで改めて知った、と言うか、自分のひどい勘違いに気付いた。ご存知の方も多いと思うがクリーブランド管弦楽団はアメリカのオケ、五大交響楽団のひとつである。今までは漠然とクリーブランドか、寒いだろうなーとしか思っていなかった、実はグリーンランドと間違えていたのである。ここは北米五大湖沿岸のオハイオ州クリーブランドが本拠地である。
所有しているクリーブランド管弦楽団は優れた録音が多いので嬉しい。



22Hisは設置以来電源を落としていないが大分落ち着いて来たように思う。レコードに新しい発見の日々である。
クリーブランドの魅力はざらっとした弦が魅力、チェコも同じように思う。長年常任指揮者であったジョージセルのマーラの4番クリーブランドは愛聴盤である、勿論、マゼール・ウイーンも好んで聴く。CDならばブーレズ・クリーブランドにも手がのびる。
そのクリーブランドとマゼールの組合せでブラームスの交響曲全集がネットショップに出ていた、ffssDECCAである。これを逃してなるものかとオーダした。結構安い価格とは言ってもオークションではなくネットショップ、ラージDECCAが来れば儲けモンと軽い期待感が後押ししたが、送られて来たレコードはスモールDECCAだった。考えてみると1975-76の録音77年発売だからラージは無いのかも知れない。
聴いてみると、ブラームスだから、すごい感激はないものの、かなり良い演奏である。ジョージセルによって鍛え上げられ世界有数のオーケストラになったクリーブランドはマゼールにより一段と高い処に押し上げられた感がある。意外にも2番がよく、ゆったりとした流れが良い、ブラームスの田園交響曲と言われる所以だろう。
ライナーを読んで改めて知った、と言うか、自分のひどい勘違いに気付いた。ご存知の方も多いと思うがクリーブランド管弦楽団はアメリカのオケ、五大交響楽団のひとつである。今までは漠然とクリーブランドか、寒いだろうなーとしか思っていなかった、実はグリーンランドと間違えていたのである。ここは北米五大湖沿岸のオハイオ州クリーブランドが本拠地である。
所有しているクリーブランド管弦楽団は優れた録音が多いので嬉しい。



22Hisは設置以来電源を落としていないが大分落ち着いて来たように思う。レコードに新しい発見の日々である。
Nur wer die Sehnsucht kennt
"ただ憧れを知る者だけが"、よく目にするゲーテ詩集の一節、
この一節が、憧れについて、核心を表現しているように思う。
あこがれは深い苦しみの孤独な戦いである。
わたしはチャイコフスキーやシューマンよりシューベルト、それもアメリンクの"ただ憧れを知る者だけが"が好きだ。
本題の22History、丸一日音楽を鳴らしっ放しで興味あることに気が付いた。音はまだ荒削りであるが端的に音の素子が多くなった。
非常につたない表現であるが、音素子がぐっと増えた、としか言いようがない。CDの場合であるが細かい声の表現や楽器の細かいディテールとでも言おうか、今まで思ってきた解像度が陳腐と思える異なる表現を探さなければいけない。例えば最後の歌詞を発音した後のデミネンドの唇の動きが感じられるほど、バィヨリンは弓を引き放ったあとの左指の動きを感じる、などなど、実際に舞台間近で見ている者には分る感覚である。CDには物凄い音が詰まっている。たとえ16ビットであろうとも。
LPの場合、表現はもっと顕著だが、空間表現はいまのところCDには及ばない、イコライザーやカートリッヂを交換したら、もう一度更にCDを引き離すかも知れない。
一番驚いたのは、今まで何回も聴いたはずのSIBELIUS#4 アンセルメOSR演奏のデッカ初期盤であるが、弦楽五部なかでもコントラバスのユニゾンが物凄い、こんな音がレコードに入っていたかと思うほどである。いつもの事であるが、ずいぶん時間を無駄に過してきたと後悔の念が然り。勿論、入っていない音を出す訳でも、誇張して出す訳でもないことは、他のレコードを聴いても分る。
昔はLONDON盤のB/Bが好きだったが、ここ数年LargeDECCAの良さが分り改めて同じレコードを聴き比べて実感した。

さて、ゲーテの詩は次のように続く、
ただ憧れを知るものだけが
わたしの悩みをわかってくれる
ただひとりで
すべての歓びから離れ
わたしは見つめる
虚空のかなたを
(Goethe WilhelmMeisterより)
この中に出てくるミニヨンについては多くの曲があり、
わたしはトマの"君知るや南の国"フォン・シュターダの歌が一番好きだ。
わたしの敬愛するヨハネスさん、jyajyaoさんの憧れは素敵だ。
"ただ憧れを知る者だけが"、よく目にするゲーテ詩集の一節、
この一節が、憧れについて、核心を表現しているように思う。
あこがれは深い苦しみの孤独な戦いである。
わたしはチャイコフスキーやシューマンよりシューベルト、それもアメリンクの"ただ憧れを知る者だけが"が好きだ。
本題の22History、丸一日音楽を鳴らしっ放しで興味あることに気が付いた。音はまだ荒削りであるが端的に音の素子が多くなった。
非常につたない表現であるが、音素子がぐっと増えた、としか言いようがない。CDの場合であるが細かい声の表現や楽器の細かいディテールとでも言おうか、今まで思ってきた解像度が陳腐と思える異なる表現を探さなければいけない。例えば最後の歌詞を発音した後のデミネンドの唇の動きが感じられるほど、バィヨリンは弓を引き放ったあとの左指の動きを感じる、などなど、実際に舞台間近で見ている者には分る感覚である。CDには物凄い音が詰まっている。たとえ16ビットであろうとも。
LPの場合、表現はもっと顕著だが、空間表現はいまのところCDには及ばない、イコライザーやカートリッヂを交換したら、もう一度更にCDを引き離すかも知れない。
一番驚いたのは、今まで何回も聴いたはずのSIBELIUS#4 アンセルメOSR演奏のデッカ初期盤であるが、弦楽五部なかでもコントラバスのユニゾンが物凄い、こんな音がレコードに入っていたかと思うほどである。いつもの事であるが、ずいぶん時間を無駄に過してきたと後悔の念が然り。勿論、入っていない音を出す訳でも、誇張して出す訳でもないことは、他のレコードを聴いても分る。
昔はLONDON盤のB/Bが好きだったが、ここ数年LargeDECCAの良さが分り改めて同じレコードを聴き比べて実感した。

さて、ゲーテの詩は次のように続く、
ただ憧れを知るものだけが
わたしの悩みをわかってくれる
ただひとりで
すべての歓びから離れ
わたしは見つめる
虚空のかなたを
(Goethe WilhelmMeisterより)
この中に出てくるミニヨンについては多くの曲があり、
わたしはトマの"君知るや南の国"フォン・シュターダの歌が一番好きだ。
わたしの敬愛するヨハネスさん、jyajyaoさんの憧れは素敵だ。
10日余り経て22sigが帰ってきた。
写真をとったので差し支えないものをアップする。
さて、その音であるが、中高域の木管楽器の鳴り方が変ったことに気付いた。
印象としてはまだまだだが今のところ支払った対価ほどは享受できていない。
多分数週間のエージングが必要と思われる。それまでは評価できる筈も無い。

写真をとったので差し支えないものをアップする。
さて、その音であるが、中高域の木管楽器の鳴り方が変ったことに気付いた。
印象としてはまだまだだが今のところ支払った対価ほどは享受できていない。
多分数週間のエージングが必要と思われる。それまでは評価できる筈も無い。

二ヶ月ぶりにLNP2L->MC3500->JBL4550に火を入れた、ゴールドムンドはお休みである。

いつか聴こうと思っていたRIRSのフルトヴェングラーを聴く為に前日から火を入れておいた。
フルトヴェングラーは初期盤も結構持っているが、一向に聴こうと言う気にならない。
理由は蓄音機で聴いたフルトヴェングラーは凄いと思ったが、LPで聴くと音の塊が耐えられないのだ、CD復刻でも同様に感じる。
だからレコードは買っても聴く気にはなれない。今回のRIRSも限定だから取敢えず買って置こうと思っただけ。
さて、EMT927に乗せると酷いレコードである、うねりくねっている。180gずっしり重い最新のカッティングでありながら、初めてこんなにうねりくねった酷いレコードを見た。わかめのようなレコードはアームが飛び跳ねないまでも、周回毎にいそがしく乱高下している。
全部のレコードが同じ状態であり、アマゾンに返品交換してもらおうかと思った。キングレコードはドイツから輸入して検品すらしていないのだろうと諦めも半分。
しかし、出てきた音には驚いた、本当に驚いた、素晴らしいのである。1947年5月25日フルトヴェングラー・ベルリンフィル復帰コンサートのライブ録音である。蓄音機で聴いた迫力に加え鮮明なベルリンフィルのベートベン第六交響曲田園と第五交響曲運命である。
いまは田園しか聴いていないが1954年5月23日のライブ録音と比べても、わたしは1947年の方が良い演奏に聴こえる。ほんとうに素晴らしい。アームの上下ダンスも特大チャックつきのセンターウェイトで締め付けると幾分かはマシになる、本当に素晴らしいフルトベングラー・ベルリンフィルの魅力が堪能できる14枚である。
LP1.ベートベン#6(1947/5/25)
LP2.ベートベン#5(1947/5/25)
LP3.ベートベン#6(1954/5/23)
LP4.ベートベン#5(1954/5/23)
LP5.ベートベン#3(1950/6/20)
LP6.ベートベン#3(1952/12/8)
LP7.ベートベン#3(1952/12/8)
LP8.9.ブルックナー#8(1949/3/15)
LP10.シューベルト#8(1953/9/15)
LP10.11.シューベルト#9(1953/9/15)
LP12.ブラームス#4(1948/10/24)
LP13.ブラームス#3(1949/12/18)
LP14.ブラームス#3(1954/4/27)
LP14.ワーグナー・トリスタンとイゾルテ愛の死

興味ある方は騙されたと思って買ってみては如何でしょう。限定版のためタワーにはもう無くてアマゾンに数点あるのみ。カッターヘッドがステレオのもので刻まれているのかMCH-1ステレオ針で良い音がする。いま書きながら聴いているエロイカも素晴らしい出来であることは当然だ。

いつか聴こうと思っていたRIRSのフルトヴェングラーを聴く為に前日から火を入れておいた。
フルトヴェングラーは初期盤も結構持っているが、一向に聴こうと言う気にならない。
理由は蓄音機で聴いたフルトヴェングラーは凄いと思ったが、LPで聴くと音の塊が耐えられないのだ、CD復刻でも同様に感じる。
だからレコードは買っても聴く気にはなれない。今回のRIRSも限定だから取敢えず買って置こうと思っただけ。
さて、EMT927に乗せると酷いレコードである、うねりくねっている。180gずっしり重い最新のカッティングでありながら、初めてこんなにうねりくねった酷いレコードを見た。わかめのようなレコードはアームが飛び跳ねないまでも、周回毎にいそがしく乱高下している。
全部のレコードが同じ状態であり、アマゾンに返品交換してもらおうかと思った。キングレコードはドイツから輸入して検品すらしていないのだろうと諦めも半分。
しかし、出てきた音には驚いた、本当に驚いた、素晴らしいのである。1947年5月25日フルトヴェングラー・ベルリンフィル復帰コンサートのライブ録音である。蓄音機で聴いた迫力に加え鮮明なベルリンフィルのベートベン第六交響曲田園と第五交響曲運命である。
いまは田園しか聴いていないが1954年5月23日のライブ録音と比べても、わたしは1947年の方が良い演奏に聴こえる。ほんとうに素晴らしい。アームの上下ダンスも特大チャックつきのセンターウェイトで締め付けると幾分かはマシになる、本当に素晴らしいフルトベングラー・ベルリンフィルの魅力が堪能できる14枚である。
LP1.ベートベン#6(1947/5/25)
LP2.ベートベン#5(1947/5/25)
LP3.ベートベン#6(1954/5/23)
LP4.ベートベン#5(1954/5/23)
LP5.ベートベン#3(1950/6/20)
LP6.ベートベン#3(1952/12/8)
LP7.ベートベン#3(1952/12/8)
LP8.9.ブルックナー#8(1949/3/15)
LP10.シューベルト#8(1953/9/15)
LP10.11.シューベルト#9(1953/9/15)
LP12.ブラームス#4(1948/10/24)
LP13.ブラームス#3(1949/12/18)
LP14.ブラームス#3(1954/4/27)
LP14.ワーグナー・トリスタンとイゾルテ愛の死

興味ある方は騙されたと思って買ってみては如何でしょう。限定版のためタワーにはもう無くてアマゾンに数点あるのみ。カッターヘッドがステレオのもので刻まれているのかMCH-1ステレオ針で良い音がする。いま書きながら聴いているエロイカも素晴らしい出来であることは当然だ。
GoldMundは二人の青年が設計したリニアトラッキングアームを商品化するために設立した会社だった。
当時アームの実力を発揮できるターンテーブルが無かったためプレイヤーシステムとして自らが開発した。
レヴァションがゴールドムンドの社長になったのはこの製品を販売するためだ。
このアームを搭載したプレイヤーはReferenceAnalog、T3Fを搭載したReference2Analog、そしてStudioetto、近年発表されたReference2 Turntableはアームレスで$300,000とべらぼうな値が付いている。



さて、四月に導入したT3Fが年末に回転しなくなった。プラッタを少し持ち上げると回転し始める事を偶然発見した。
しかし、翌日には動かなくなる。何回か繰り返しているうちにピタリとも動かなくなった。
原因はモータのプーリの頭がプラッタとくっ付いていたことで初期設置のミスである。この問題を回避するにはプラッタを含むベース部をフローティング機構で持ち上げる事とラックベースに固定されているモータ部のフローティングを下げてやる必要がある。

モータが回転しなくなる原因はこれ以外に二つ有る。電源部の故障と制御部の故障である。モータそのものはパルスモータが使われている。そして電源部と制御部はラックの裏面に取り付けてあり、外からは見えない。修理のためにはリニアトラッキングの制御部、これはラックの前面にマウントされているものを取り外さなければならない。
モータ制御部には電源とメインボードが収められている。メインボードには昔懐かしいモトローラのMC68000とTMS2516-35JL(16KbitのEPROM)が搭載されコンピュータ制御になっている。基盤にCECと表記してあったので日本のCECと思ったがCEC CAROUGEは地元スイスのメーカと思われる。EPROMは四角い赤色のバッテリーでデータが保持され、回転数の初期値はEPROMから電源の投入時に読み込まれる。

初期値データの読込みに失敗するとモータは回転しない。バッテリーは20年も持つ訳が無いので交換していなければ初期値データは保持されない事になる。もしも回転数が正常に33.3RPM/45RPMを表示するなら初期データをRewriteさせないためにバッテリーは交換しないほうが良い。

因みにStudioetteT3Fはこの部分をディスクリートで組んであるらしいので心配は無い。
プラッタを外すとセンターシャフトのオイルバスを覗く事が出来る。そしてT3Fのアームブロックを三本のネジで外すとアーム部は外れる。この時、三本のネジの位置をマーキングしていないとアームの初期値が狂うので注意する事。




アームブロックを外すとプラッタベースに三本のフローティング脚ともうひとつ穴が開いている。これはT3Fのリニアトラッキングアームを使わず通常のアームを取り付けることが出来ることが判る。使うか否かは別として、これは分解しないと分らない新しい発見だ。

消耗品であるベルトはLINNのものが使えるらしいので心配ない。


アーム部を外すとプラッタベース部を外すことが出来る。プラッタベースは3本脚フローティングで支えられているが、フローティングは高さを調整できる構造で直径が12cm、そのうえローレットを切ってあり、兎角廻し過ぎると螺子が噛み込み動かなくなるので注意が必要だ。高さの目安はプラッターベースを指で押して沈み込む迄の高さが必要で、押すと直にコッンと当るのは当然低い。
ここまで分解したのはコントロールスイッチのランプを交換するためでコントロールスイッチのハウジングはラックベースに下から螺子止めされているのでランプ交換のためには分解する必要がある。

元に組み上げモータ部分の高さを調整し、ベルトがインナープラッタの底部から少し上になるようにする。そしてプラッタベースのフローティングも調整する。電源を入れ33RPMにスイッチを押すと回転し33.3RPMにひたりと同期し回転表示が赤から緑に変わり、12インチのボタンを押すとアームは自動的にレコードの外周無音溝に静かにカートリッヂを降ろす、そして前面のアーム制御部の表示は赤と緑の交互点滅を繰り返す。これは同期中の意味だ。
バッテリーがなくても+-で回転速度の調整は可能で、リセットボタンを押すと電源を切らない限り初期値として設定される。電源を切れば当然リセットされる。わざわざ68000を使って組上げるほどの事でも無いように思う。
針圧の調整は通常のダイナミックバランスのアームと同じく、六角レンチでウエイトの位置をずらして調整する。カートリッヂの高さはアーム部の左右のゲージの螺子を調整して行う。以上でGoldMundReferenceAnalogの調整は終わりである。このプレイヤーは300台ほど作られ前期と後期ではアームコントローラ部のスイッチが違い、全台わずかずつ違うハンドメイドの製品である。近年発売されたReference2 Turntableはアームレスで形は似ているが全く異なる製品である。

このプレイヤーの標準カートリッヂは日本の光悦と書いてある。無論、カートリッヂはオプションで、私はBrinkmann EMT-Tiを付けている。
当時アームの実力を発揮できるターンテーブルが無かったためプレイヤーシステムとして自らが開発した。
レヴァションがゴールドムンドの社長になったのはこの製品を販売するためだ。
このアームを搭載したプレイヤーはReferenceAnalog、T3Fを搭載したReference2Analog、そしてStudioetto、近年発表されたReference2 Turntableはアームレスで$300,000とべらぼうな値が付いている。



さて、四月に導入したT3Fが年末に回転しなくなった。プラッタを少し持ち上げると回転し始める事を偶然発見した。
しかし、翌日には動かなくなる。何回か繰り返しているうちにピタリとも動かなくなった。
原因はモータのプーリの頭がプラッタとくっ付いていたことで初期設置のミスである。この問題を回避するにはプラッタを含むベース部をフローティング機構で持ち上げる事とラックベースに固定されているモータ部のフローティングを下げてやる必要がある。


モータが回転しなくなる原因はこれ以外に二つ有る。電源部の故障と制御部の故障である。モータそのものはパルスモータが使われている。そして電源部と制御部はラックの裏面に取り付けてあり、外からは見えない。修理のためにはリニアトラッキングの制御部、これはラックの前面にマウントされているものを取り外さなければならない。
モータ制御部には電源とメインボードが収められている。メインボードには昔懐かしいモトローラのMC68000とTMS2516-35JL(16KbitのEPROM)が搭載されコンピュータ制御になっている。基盤にCECと表記してあったので日本のCECと思ったがCEC CAROUGEは地元スイスのメーカと思われる。EPROMは四角い赤色のバッテリーでデータが保持され、回転数の初期値はEPROMから電源の投入時に読み込まれる。

初期値データの読込みに失敗するとモータは回転しない。バッテリーは20年も持つ訳が無いので交換していなければ初期値データは保持されない事になる。もしも回転数が正常に33.3RPM/45RPMを表示するなら初期データをRewriteさせないためにバッテリーは交換しないほうが良い。

因みにStudioetteT3Fはこの部分をディスクリートで組んであるらしいので心配は無い。
プラッタを外すとセンターシャフトのオイルバスを覗く事が出来る。そしてT3Fのアームブロックを三本のネジで外すとアーム部は外れる。この時、三本のネジの位置をマーキングしていないとアームの初期値が狂うので注意する事。




アームブロックを外すとプラッタベースに三本のフローティング脚ともうひとつ穴が開いている。これはT3Fのリニアトラッキングアームを使わず通常のアームを取り付けることが出来ることが判る。使うか否かは別として、これは分解しないと分らない新しい発見だ。

消耗品であるベルトはLINNのものが使えるらしいので心配ない。


アーム部を外すとプラッタベース部を外すことが出来る。プラッタベースは3本脚フローティングで支えられているが、フローティングは高さを調整できる構造で直径が12cm、そのうえローレットを切ってあり、兎角廻し過ぎると螺子が噛み込み動かなくなるので注意が必要だ。高さの目安はプラッターベースを指で押して沈み込む迄の高さが必要で、押すと直にコッンと当るのは当然低い。
ここまで分解したのはコントロールスイッチのランプを交換するためでコントロールスイッチのハウジングはラックベースに下から螺子止めされているのでランプ交換のためには分解する必要がある。

元に組み上げモータ部分の高さを調整し、ベルトがインナープラッタの底部から少し上になるようにする。そしてプラッタベースのフローティングも調整する。電源を入れ33RPMにスイッチを押すと回転し33.3RPMにひたりと同期し回転表示が赤から緑に変わり、12インチのボタンを押すとアームは自動的にレコードの外周無音溝に静かにカートリッヂを降ろす、そして前面のアーム制御部の表示は赤と緑の交互点滅を繰り返す。これは同期中の意味だ。
バッテリーがなくても+-で回転速度の調整は可能で、リセットボタンを押すと電源を切らない限り初期値として設定される。電源を切れば当然リセットされる。わざわざ68000を使って組上げるほどの事でも無いように思う。
針圧の調整は通常のダイナミックバランスのアームと同じく、六角レンチでウエイトの位置をずらして調整する。カートリッヂの高さはアーム部の左右のゲージの螺子を調整して行う。以上でGoldMundReferenceAnalogの調整は終わりである。このプレイヤーは300台ほど作られ前期と後期ではアームコントローラ部のスイッチが違い、全台わずかずつ違うハンドメイドの製品である。近年発売されたReference2 Turntableはアームレスで形は似ているが全く異なる製品である。

このプレイヤーの標準カートリッヂは日本の光悦と書いてある。無論、カートリッヂはオプションで、私はBrinkmann EMT-Tiを付けている。
MM22HistoryにRebornするためにドック入りさせた。

年が明けてからは毎日レコードを聴いた、22Sもやはり電源を入れて数時間は音が良くない。
丸一日ほど通電すると本来の艶やかな音楽が楽しめる。
冬場は外出することも少なく、机の前で仕事をすることが多いので自然とレコードを聴く時間も長くなる。
MM22Sをドック入りさせる前にパネルを開けて写真を撮った。ほとんど絵にならないアンプである。





年が明けてからは毎日レコードを聴いた、22Sもやはり電源を入れて数時間は音が良くない。
丸一日ほど通電すると本来の艶やかな音楽が楽しめる。
冬場は外出することも少なく、机の前で仕事をすることが多いので自然とレコードを聴く時間も長くなる。
MM22Sをドック入りさせる前にパネルを開けて写真を撮った。ほとんど絵にならないアンプである。




この二週間はスメタナのわが祖国ばかり聴いている。
こう云うことも珍しくはないが"わが祖国(Ma Vlast)"は知れば知るほど味が出てくる。
Ma Vlastは6曲からなる交響詩、1曲目から6曲続けて聴くので一時間はかかる。
1.Vysehrad(高い丘の塔)プラハ城のこと
2.Vltava(モルダウ川)
3.Sarka(伝説の女戦士シャールカ)
4.Zceskyeh luhu ahaju(ボヘミアの森と草原)
5.Tabor(スフ戦士の不屈の戦い)
6.Blanik(ブラニークの森の勇士が祖国を救う)
無論全曲好きである、強いてあげるとボヘミアの森と草原、そしてターボルが好きだ。わたしにとって交響曲、交響詩、オペラでも全曲好きで聴けるものは少ない、間延びしたり、飽きてくる。
スメタナは第一曲目を書き上げたあと聴力を失い、あの美しいモルダウの旋律も激しいザルーカも自分では聴く事が出来なかった。
チェコには偉大な作曲家が三人居る、ドボルザーク、スメタナそしてヤナーチェックである。ドボルザークは貴族に生まれ生涯を豊に暮らしたが、スメタナはボヘミアの歴史同様に辛い生涯を強いられた。わが祖国にはボヘミアのゆったりした自然を五線譜に写し取り、そして激しい革命の臭いも織り交ぜて主題を繰り返えし、自らが生きた祖国の運命を表現している。ドボルザークとは対照的な音楽であるが、底に流れる美しいボヘミアの旋律は同じである。
ドボルザークの新世界の中の牧歌的な三曲目とスメタナのわが祖国のモルダウは美しい旋律で聴くものに同じような感情を抱かせる。しかし、主題の緊張と不安はスメタナ自身の経験を経たものだろう。
チェコフィルの指揮者はターリッヒ、クーベリック、アンチェル、ノイマン....アシュケナージ、インバルと続く。
やはり、CPOといえばノイマンだろうとわたしは思う。所有していたレコードもこれ一枚しかなかったが、ここ数日で結構集まった。
クーベリックはバイロイトのライブ、ノイマンは1976年CPOと77年45RPMのレコード。CDはノイマンCPO1982年来日公演、アンチエルCPO63年ドボルサークホール、スメターチェクCPO80年プラハがある。

繰り返しターンテーブルに乗るのは、やはりノイマン1976年録音盤である。弦楽器と管楽器・打楽器のバランスが良く、チェコの森と草原とターボルは深く良く表現されており、情景が目に浮かぶほどである。車窓から見えたボヘミアの森や草原は何処までも広くなだらかで、流れる小川も緩やかで牧歌的であった。
そして、最終曲のブラニークは全てが収束されている美しい展開の旋律だ。しかし、ノイマンのレコードでも最後に残るのは"わが祖国"の革命の匂いかも知れない。日本盤ではCDやLPでもこのような感覚に陥ることはなく苦い後味しか残らない、音楽に対する愛情が感じられないのだ。音盤とは怖いものである。
さて、レコードを聴き終えたらMimesis22Sigがドック入りする、一週間後には22Historyとして生まれ変わる。多分、ステラ最後の仕事だろう。

こう云うことも珍しくはないが"わが祖国(Ma Vlast)"は知れば知るほど味が出てくる。
Ma Vlastは6曲からなる交響詩、1曲目から6曲続けて聴くので一時間はかかる。
1.Vysehrad(高い丘の塔)プラハ城のこと
2.Vltava(モルダウ川)
3.Sarka(伝説の女戦士シャールカ)
4.Zceskyeh luhu ahaju(ボヘミアの森と草原)
5.Tabor(スフ戦士の不屈の戦い)
6.Blanik(ブラニークの森の勇士が祖国を救う)
無論全曲好きである、強いてあげるとボヘミアの森と草原、そしてターボルが好きだ。わたしにとって交響曲、交響詩、オペラでも全曲好きで聴けるものは少ない、間延びしたり、飽きてくる。
スメタナは第一曲目を書き上げたあと聴力を失い、あの美しいモルダウの旋律も激しいザルーカも自分では聴く事が出来なかった。
チェコには偉大な作曲家が三人居る、ドボルザーク、スメタナそしてヤナーチェックである。ドボルザークは貴族に生まれ生涯を豊に暮らしたが、スメタナはボヘミアの歴史同様に辛い生涯を強いられた。わが祖国にはボヘミアのゆったりした自然を五線譜に写し取り、そして激しい革命の臭いも織り交ぜて主題を繰り返えし、自らが生きた祖国の運命を表現している。ドボルザークとは対照的な音楽であるが、底に流れる美しいボヘミアの旋律は同じである。
ドボルザークの新世界の中の牧歌的な三曲目とスメタナのわが祖国のモルダウは美しい旋律で聴くものに同じような感情を抱かせる。しかし、主題の緊張と不安はスメタナ自身の経験を経たものだろう。
チェコフィルの指揮者はターリッヒ、クーベリック、アンチェル、ノイマン....アシュケナージ、インバルと続く。
やはり、CPOといえばノイマンだろうとわたしは思う。所有していたレコードもこれ一枚しかなかったが、ここ数日で結構集まった。
クーベリックはバイロイトのライブ、ノイマンは1976年CPOと77年45RPMのレコード。CDはノイマンCPO1982年来日公演、アンチエルCPO63年ドボルサークホール、スメターチェクCPO80年プラハがある。

繰り返しターンテーブルに乗るのは、やはりノイマン1976年録音盤である。弦楽器と管楽器・打楽器のバランスが良く、チェコの森と草原とターボルは深く良く表現されており、情景が目に浮かぶほどである。車窓から見えたボヘミアの森や草原は何処までも広くなだらかで、流れる小川も緩やかで牧歌的であった。
そして、最終曲のブラニークは全てが収束されている美しい展開の旋律だ。しかし、ノイマンのレコードでも最後に残るのは"わが祖国"の革命の匂いかも知れない。日本盤ではCDやLPでもこのような感覚に陥ることはなく苦い後味しか残らない、音楽に対する愛情が感じられないのだ。音盤とは怖いものである。
さて、レコードを聴き終えたらMimesis22Sigがドック入りする、一週間後には22Historyとして生まれ変わる。多分、ステラ最後の仕事だろう。

二日居ただけなのにプラハはもう充分と云った気持ちになった。
ニューイヤーイブからニューイヤーの二日間を過ごした性もあるだろう。
素晴らしい歌劇こうもりとチェコ交響楽団の我が祖国(モルダウ)だけで充分満足できた。
最初は期待していなかったが、ふとCDを買ってみようと思い、開演前に購入した。
終演には一枚も残っていなかったので嬉しかった。帰国して聞いてみるとモルダウは入っていない。
飛行機から見るボヘミアとフランスは全く違う、牧歌的な丘陵が点在するチェコに比べてフランスは平坦で畑が多く、畑の区画も芸術的に見えてしまう。
ヴアンド広場前のホテルに旅装を解き、まずはコンシェルジュにオペラ座の様子を聞いてもらったが、金曜日まで休みで何処もやっていないそうだ。残念だが仕方ない。
さて、高田三郎のパリ旅情に出てくるサン・シュルピス寺院のオルガンでマルセル・デュプレを聴きたい、地図で見るとサンジェルマン通りを入ったところのようだ。
しゃれたレストランでランチを楽しみ、オープンカフェでカプチーノを飲みながら流れ行く時間に心を任せる、それもまた良いだろう。

パリはニューヨークと同じで感動は無いと思ったのは間違い、時間がゆっくりと流れるのが嬉しい、疲れた心を癒すのに充分な時間だ。
それに高速のインターネットが使えることが嬉しい。早速iPadからブログメモをメール転送して写真付きでアップできた。
おわり
ニューイヤーイブからニューイヤーの二日間を過ごした性もあるだろう。
素晴らしい歌劇こうもりとチェコ交響楽団の我が祖国(モルダウ)だけで充分満足できた。
最初は期待していなかったが、ふとCDを買ってみようと思い、開演前に購入した。
終演には一枚も残っていなかったので嬉しかった。帰国して聞いてみるとモルダウは入っていない。
飛行機から見るボヘミアとフランスは全く違う、牧歌的な丘陵が点在するチェコに比べてフランスは平坦で畑が多く、畑の区画も芸術的に見えてしまう。
ヴアンド広場前のホテルに旅装を解き、まずはコンシェルジュにオペラ座の様子を聞いてもらったが、金曜日まで休みで何処もやっていないそうだ。残念だが仕方ない。
さて、高田三郎のパリ旅情に出てくるサン・シュルピス寺院のオルガンでマルセル・デュプレを聴きたい、地図で見るとサンジェルマン通りを入ったところのようだ。
しゃれたレストランでランチを楽しみ、オープンカフェでカプチーノを飲みながら流れ行く時間に心を任せる、それもまた良いだろう。

パリはニューヨークと同じで感動は無いと思ったのは間違い、時間がゆっくりと流れるのが嬉しい、疲れた心を癒すのに充分な時間だ。
それに高速のインターネットが使えることが嬉しい。早速iPadからブログメモをメール転送して写真付きでアップできた。
おわり
ニューイヤーコンサートは夕方四時から始まるが、すでに辺りが真っ暗である。
結構着飾った人達が多く観光客としては少し恥ずかしかった。ポワイエにはワインも用意されているが勿論有料だ。
素気ないホールで、音響もそれほど良いとは言えない。
考えてみるとチェコ交響楽団にはノイマンのドボルザークを除いて良い印象は無い。



指揮はFriedemann Riehleで、勿論わたしは知らない、オケはバイヨリンが第一第二を合わせて20人、ビオラが9人、チェロが8人、コントラバスが4人、金管楽器は少ない編成であった。
音はやはり、良く無かった。ホールの造りが国立オペラ座とは違い過ぎて可哀想なくらいである。
音楽そのものもニューイヤーだから仕方ないが、それ程良くなかった、がスメタナの我が祖国(モルダウ)は言い表すことが出来ないほど感動を覚え素晴らしかった。
多分これは他のオケでは出せない音楽だろう。
プラハ城から観たモルダウ川や夕日に染まるモルダウ川をカレル橋から観た性もあるだろう。
モルダウ川の流れをとうとうと表現する愛国者スメタナと愛国精神に満ちたチェコ交響楽団には驚かされた。
曲と演奏と客のこころが一体となった時に真の音楽が伝わるのではないかと思ったぐらいである。
帰りはiPhone片手に歩いて帰った。ニューイヤーコンサートの成果はスメタナ一曲で充分だ。ほかは心に残らなかった。
iPhoneのMap機能は素晴らしく初めての街もスイスイ歩けてしまうから便利だ。
結構着飾った人達が多く観光客としては少し恥ずかしかった。ポワイエにはワインも用意されているが勿論有料だ。
素気ないホールで、音響もそれほど良いとは言えない。
考えてみるとチェコ交響楽団にはノイマンのドボルザークを除いて良い印象は無い。



指揮はFriedemann Riehleで、勿論わたしは知らない、オケはバイヨリンが第一第二を合わせて20人、ビオラが9人、チェロが8人、コントラバスが4人、金管楽器は少ない編成であった。
音はやはり、良く無かった。ホールの造りが国立オペラ座とは違い過ぎて可哀想なくらいである。
音楽そのものもニューイヤーだから仕方ないが、それ程良くなかった、がスメタナの我が祖国(モルダウ)は言い表すことが出来ないほど感動を覚え素晴らしかった。
多分これは他のオケでは出せない音楽だろう。
プラハ城から観たモルダウ川や夕日に染まるモルダウ川をカレル橋から観た性もあるだろう。
モルダウ川の流れをとうとうと表現する愛国者スメタナと愛国精神に満ちたチェコ交響楽団には驚かされた。
曲と演奏と客のこころが一体となった時に真の音楽が伝わるのではないかと思ったぐらいである。
帰りはiPhone片手に歩いて帰った。ニューイヤーコンサートの成果はスメタナ一曲で充分だ。ほかは心に残らなかった。
iPhoneのMap機能は素晴らしく初めての街もスイスイ歩けてしまうから便利だ。
翌日はぐっすり寝たので疲れも取れ、朝早くから行動した。
プラハ城が目的だ。地下鉄で二駅のマロストランスカー駅で降りて城壁に沿って上がっていくと衛兵が立っている。


ここから眺めるプラハの街は有名な屋根の連なった綺麗な街並みだ。ヴルタヴァ川に架かるカレル橋も多分昔から変わらない美しさだろうし、また、マーネス橋の横にはドボルザークホールが見える。
今日のニューイヤーコンサートの会場だが近いのでプラハ城から歩いて行ける。

プラハで音楽以外では二軒のレストランに目星を付けていた。何れもチェコ料理の店だが、その一つがプラハ城の入口にある。聖ヴィート大聖堂横の正門の橋を渡る処にあるが、豚の丸焼を食べさせてくれる。ワインと良く合う美味しさだった。




もう一軒は、火薬庫近くのツェルニチエというチェコ料理で、こちらは豚のスペアリブがとても美味しかった。昼夜の連荘でも食べ飽きることは無い。
プラハ城が目的だ。地下鉄で二駅のマロストランスカー駅で降りて城壁に沿って上がっていくと衛兵が立っている。


ここから眺めるプラハの街は有名な屋根の連なった綺麗な街並みだ。ヴルタヴァ川に架かるカレル橋も多分昔から変わらない美しさだろうし、また、マーネス橋の横にはドボルザークホールが見える。
今日のニューイヤーコンサートの会場だが近いのでプラハ城から歩いて行ける。

プラハで音楽以外では二軒のレストランに目星を付けていた。何れもチェコ料理の店だが、その一つがプラハ城の入口にある。聖ヴィート大聖堂横の正門の橋を渡る処にあるが、豚の丸焼を食べさせてくれる。ワインと良く合う美味しさだった。




もう一軒は、火薬庫近くのツェルニチエというチェコ料理で、こちらは豚のスペアリブがとても美味しかった。昼夜の連荘でも食べ飽きることは無い。
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